数千枚の波の果て

Since 2026.7.14

仕事モードが抜けないままに

仕事モードが抜けないまま休んでいる。でも全然平気というか。前職のときは携帯を持たされていて電話がいつもかかってくる環境だったからか、モードの切り替えを意識することもない。急に仕事の連絡来ても大丈夫である。これはセルゲーム前の悟空がずっと超サイヤ人の状態だったようなもので「慣れてしまうと身体への負担は軽くなる」というのに近い。

と、大体同年代と話すときにはモノの例えに前置き無しでドラゴンボールを持ち出したりするんだけど、もう少し下の世代になると通じないんじゃないかと思って躊躇してしまう。

というかいい歳して悟空とかセルゲームとか言うのもちょっと気恥ずかしい。友だちならいいけど、飲み屋で会った人に言うときは流石に「ドラゴンボールで例えていいか」と一応許可を取る。でもこれは喫煙可の店で隣の人に「タバコ吸ってもよいですか」と聞くような、断らないであろうという下世話な狙いを無意識レベルで抱いている気がすると今思った。ダメって言われたらどうするんだ。ハタチぐらいの時、ガンダムで例える30代半ばから40代の人に辟易していたけど、自分の番がとうとう回ってきているのではないか。

You tubeで配信されている霜降り明星のせいやのトークライブで、明石家さんまの普段の歩くスピードがあまりにも速いことを「ハンター試験の最初か!」と例えツッコミしていて笑ったのだけど、お客さんのことを信用しているじゃないけど、通じる例えかどうかをスパッと判断して表現できるところがスゴいと思う。こんな細かくて小さなことを褒められても芸人は別に嬉しくないだろうけど、こうした細かな部分がキチッとしているからこそ第一線のプロってものなのだよ。当然ながら他の仕事にもいえる。その職種の人からしたら当たり前にできてわかっていることでも、他から見るとスゴいことって職種の数だけ存在する。看護師の採血とか素人には絶対できなくないか。でも看護師からするとできて当然だし。(違ったらごめん)

当然だし、という態度でナースステーションで先輩とおしゃべりとかしているだろう。ナースのお仕事を子どもの頃観ていたせいで、フランクな職場環境だと勘違いしている。でもよく考えたら観月ありさはよく採血失敗していたような…、脱線した。

例えに対する勇気が足りないのは、今の職場で例えがあまり通じないことも影響している気がする。「ほぼ日手帳みたいな~」と言ってもその場にいる誰にも伝わらなかったときは最初は戦慄したけれど、そもそも手帳を使う文化圏にいなければそのようなものだ。糸井重里のことをほぼ知らない(略してほぼ知ら)、自分とは異なる文化圏の人々はもちろん存在している。以前の自分には本当に信じられなかったけれども、それは狭い環境で暮らしていた証だといえる。世界は本当に広い。ダイバーシティ。万代シテイがシテ”ィ”じゃないのも新潟の人たちからしたら当然だけど、でも。

常識とは常に誰かの非常識。

昼間のうちに自宅のロールスクリーンを一新するために家具店へ相談に行った。相談に乗ってくれた店員さんが親身になって色々と教えてくれた。あちらからするともうただの作業のようになっているかもしれないが、とてもいい仕事をしてくださった。

おかげで採寸~注文~支払い~取付け工事、という工程と流れがはよくわかった。わかったけれど、モノだけ買って全てDIYで行うとなると非常にむつかしいこともよくわかった。最初の採寸もままならない。ロールスクリーンだけが手元にあってもどうしようもない。

ドラゴンボールを7つ集めても「タッカラプト ポッポルンガ プピリットパロ」って言わないとナメック星の神龍出てこないのよ。そういう専門性にいちいち感動してしまう。自分も感動させるような仕事ができているんだろうか、と仕事モードが抜けないままに。