数千枚の波の果て

Since 2026.7.14

日々のこと

  • 何度でも寝る

    三連休という実感もないままであるが。

    30過ぎてから段々体力が落ちてきた。お酒も弱くなり、寝ても疲れが抜けない。そのわりに朝5時にムクッと起きてしまう。そのまま起きていた方がいいか二度寝するか悩みつつ、大抵二度寝する。そうすると最初に起きたときよりも格段に身体が怠いのがわかるので、来週以降は二度寝をしないようにする。

    今週は特にやることが多くて忙しかったから、週末は起き上がれそうもない。こういうときはグッタリと寝込んでいることにしよう。何度でも寝よう。

  • 飲み過ぎには歩き過ぎ

    昨夜、帰路につき、住宅街をうろうろさまよって(やや迷って)いたらどこかの家の前で年老いた夫婦がバキバキに折った割り箸にライターで火をつけだしたから、110番しようかと思ったが少し見守っていたらお盆の迎え火をやっていただけだった。東京では今はお盆。

    「東京の盆は7月だよね」とのたまいながらも、実際のお盆休みは8月にやってくるからあまり実感がわかない。
    東京生まれ、東京育ちの自分は帰る田舎もなく。夏には、熱帯夜をくぐり抜けていろんな無に顔を貸して自分でいるよりほかなく蚊に刺されているしかない。

    その道すがら元同僚の家の近所を通るから19時くらいにLINEで「今から近所で軽く飲まない?」と聞いたら即レスで「おっけいす!」と来たので、焼き鳥屋へ。普段職場では転職活動の不安やストレスについて語れないため(当たり前だ)、いろいろとぶちまけつつ、でも共感してくれつつ、女だったら抱かれてるんじゃないかと思うような優しい言葉を投げかけてくれて、すっかり気持ちよくなっていたらついつい飲みすぎてしまった。

    飲みすぎてしまったときには歩くに限る。最寄り駅の路線まで歩くことにした。大体30分程度だったか、夜になれば暑さも和らぐとはいえシャツがびっしょんこになって、恥ずかしかった。でも今朝になって体重計乗ったらガクッと落ちててうれしかった。飲み過ぎには歩き過ぎよう。

  • 取捨選択

    よく本屋に行く。行くたびに何かつい買っちゃう。「また買っちゃったよ」と喜びを伴った後悔をしつつ、読んだり読まなかったり。本好きな人は皆そのようにしているはず。読んだかどうかをいちいち聞くなんてナンセンス。家にあれば、すぐに楽しめるのだ。

    最近になって読書習慣が蘇った。学生時代は読むときは平気で一日2冊くらい読んでたけど、前職のライターをはじめてから「どうやって書いているのか」とか「この言葉の差し込み方を行った理由は」とか、やたら文章構造に意識が行くようになってしまい、意味や文学的香りを楽しめなくなった。

    ところがどっこい、何だか最近足取り軽いぜ、ってな具合にあんまり構造を意識しないで文章を楽しめるようになった。理由はなんだろう、山崎豊子の『不毛地帯』の最終巻をガッツリ集中して読んだからかも。あまりにも面白すぎた。新書本なんかはササッと論点押さえる読み方になるけど、小説やエッセイは昔よりじっくり読んでいる気がする。楽しい。

    小説家は最近だと山崎豊子、山本文緒、橋本治、小川洋子などなど。どれも名人の域。

    漫画で面白く読めたのは坂口恭平さんの『生き延びるための事務』。読むのは2回目。アーティストとして、作家として生きていこうと思った作者が、自分自身の生活を成り立たせて、夢を現実に変えるための具体的な方法を教えてくれる。収支をまず整理するところから始まる。良書だと思う。素晴らしかった。

    ああいう考え方に10代の間に触れておけたらよかった。ぜひ子どもたちにも読んでほしいと思うんだけど、読んでほしい本は薦めないようにしてる。子どもたちにオススメはしない。読む本を押し付けない。

    うちのリビングには、中身がパンパンになっている本棚がある。その本棚の前、壊れたプリンターの上にさりげなく積みあげている。そこにはいろいろ置いてあるので、ゴミ山から宝を探すがごとく子どもたちがゴソゴソあさる。

    山の中から拾ったさくらももこのエッセイなどは妙にハマって読んでいるようだったので、ブックオフに行くたびに追加で買っておいて、山に置いておく。すると気付けば手に取り夢中になって読んでいる。人の考えや思ったことを文章で読んでいろいろ考える。そのプロセスが読書体験の醍醐味というかさ。そんなことを思うのさ。

    自分が子どもの頃はどうだっただろうかと思い出してみる。

    祖父母宅の玄関に繋がる階段の下に謎の鉄の扉があった。小学校高学年だったか、鍵を見つけ出して勝手に開けてみた。そうしたら叔父叔母が読んでいた漫画、遊んでいた人形などが出てきた。漫画は『エリート狂走曲』『伊賀野カバ丸』『のらくろ』、あと他にも色々。フィギュアはマジンガーZの超合金とか出てきた気がする。なつかしい。『キャンディ・キャンディ』もあった。そう思えば全部取っておけばよかった。でも人生って大切なものを手放して続いていくよね。(急に)

    四半世紀前のことだともうハッキリしない。

    母の持っていた横溝正史の金田一シリーズは中学上がってすぐくらいでそこそこ読んだ気がする。あとは中学時代、祖父が入院していた。1ヶ月という短い入院期間にも関わらず、鬼平犯科帳50冊を買わせていたらしく、本の入った袋ごといただいた。全部読めたのか、というと祖父は本を読むのが死ぬほど(もう死んでるけど)早かった。瞬間記憶じゃないけど、パラパラめくるスピードで読めたとか。そういう話をじっくりする前に亡くなってしまって、残念でならない。

    鬼平犯科帳は多分まだ家にある。時代小説はあまりこれまで読んだことがないけど、藤沢周平は授業でやった覚えがある。『蝉しぐれ』。

    祖父の本を読むか読まないか。どっちでもいいんだけど、手元にある本のうち、読む対象を選んでいくのも読書の楽しみよね。取捨選択。

  • ビールケース以外の箱

    こういう場所を作ると「今日は何を書こうか」と意識する。すると物事を考える際に「これを書こうか、どう書こうか」などとフィルターがかかる。そのかかったフィルターに引っかかったものだけが書かれる。生活のほんの一部。

    意識というのは箱や枠のようなもので、不思議とそこに置かれていれば何か納めたくなる。今回の場合はHPがそういう役割を果たす。HPという箱があれば、その箱を何かで埋めていけないか自然と考えてしまう。自然と行ってしまう行動は、外的環境が大きく影響するということ。

    自分が普段何をやっているか、まずは習慣から考えてみたい。例えば、ある1日の中だとわかりやすいだろう。

    出社する際に最寄り駅ではなく、一駅手前の各駅で降りて歩いて出社すること。

    ランチ後に会社に戻らず10分くらい歩くこと。

    午後の始業時間前に身体を伸ばしに外階段へ出ること。

    ついつい仕事帰りに寄ったスーパーマーケットで、缶ビールに手を伸ばしてしまうこと。ビールの誘惑をかわしたところで気付けばカゴに入れていた焼酎、そしてそれにピッタリなおつまみとして鮮魚コーナーで割引になっている”さく”が売っていないか、丹念にチェックすること。なかったら肩を落として、カゴの中の焼酎をワインに入れ替えたのち、すかさず精肉コーナーへ割引品を漁りに向かうこと。

    仕事帰りの話だけやたら解像度高いが、最初の日記にも出てきたようにしょっちゅうアルコールのことを考えている。今も「しょっちゅう」と打ちながら、昨晩飲み下した紙パックの赤霧島を眼の前にあるかのように想った。昨日の日記もワイン飲むとか書いてる。自然とアルコールを想う。

    いつからこうなったのかというと、この5年くらいのお話。仕事帰りに外で飲むようになり、それから家でもついつい。やがておつまみを自分で作る面白さにハマり、といった具合。そうした行動の背景には、台所が広くなってパーソナルスペースとして快適な空間になったことが影響しているかもしれない。

    外的環境は個人の行動に大きく影響する。

    今転職活動をしている真っ最中で、夏の間になんとか内定をもらいたいのだけれども二次面接にまで進めていない現状、どうなるかは全く見通しがない。

    生活の根幹となる仕事を変えたら、違う箱に変えたら。
    今とは違う自分になれるだろうか。

    ビールケース以外の箱のほか、自分はどんな箱を持っているか考えていきたい。

  • 一周年オフ会はサイゼリヤで

    これで上手くできているだろうか。サーバの勉強がてら勢いで作っていったのだけれども、思った以上にやることが多く+まとまった作業時間が大きくなって、ついつい先延ばししてしまった。

    適当に文章を書く場所が欲しくって、でも既存のブログだと技術的なことを学べないから自分で、と考えているうちに年月は過ぎていって、今日ようやく公開という。

    なるべく毎日更新できればなと思っているけど、いつまで続くのかも心配。一年くらい続いたらいいな。

    そうしたら一周年オフ会をサイゼリヤとかで開く。ワイン飲む。高らかに乾杯する。

    それをモチベーションにがんばります。応援してね。