数千枚の波の果て

Since 2026.7.14

取捨選択

よく本屋に行く。行くたびに何かつい買っちゃう。「また買っちゃったよ」と喜びを伴った後悔をしつつ、読んだり読まなかったり。本好きな人は皆そのようにしているはず。読んだかどうかをいちいち聞くなんてナンセンス。家にあれば、すぐに楽しめるのだ。

最近になって読書習慣が蘇った。学生時代は読むときは平気で一日2冊くらい読んでたけど、前職のライターをはじめてから「どうやって書いているのか」とか「この言葉の差し込み方を行った理由は」とか、やたら文章構造に意識が行くようになってしまい、意味や文学的香りを楽しめなくなった。

ところがどっこい、何だか最近足取り軽いぜ、ってな具合にあんまり構造を意識しないで文章を楽しめるようになった。理由はなんだろう、山崎豊子の『不毛地帯』の最終巻をガッツリ集中して読んだからかも。あまりにも面白すぎた。新書本なんかはササッと論点押さえる読み方になるけど、小説やエッセイは昔よりじっくり読んでいる気がする。楽しい。

小説家は最近だと山崎豊子、山本文緒、橋本治、小川洋子などなど。どれも名人の域。

漫画で面白く読めたのは坂口恭平さんの『生き延びるための事務』。読むのは2回目。アーティストとして、作家として生きていこうと思った作者が、自分自身の生活を成り立たせて、夢を現実に変えるための具体的な方法を教えてくれる。収支をまず整理するところから始まる。良書だと思う。素晴らしかった。

ああいう考え方に10代の間に触れておけたらよかった。ぜひ子どもたちにも読んでほしいと思うんだけど、読んでほしい本は薦めないようにしてる。子どもたちにオススメはしない。読む本を押し付けない。

うちのリビングには、中身がパンパンになっている本棚がある。その本棚の前、壊れたプリンターの上にさりげなく積みあげている。そこにはいろいろ置いてあるので、ゴミ山から宝を探すがごとく子どもたちがゴソゴソあさる。

山の中から拾ったさくらももこのエッセイなどは妙にハマって読んでいるようだったので、ブックオフに行くたびに追加で買っておいて、山に置いておく。すると気付けば手に取り夢中になって読んでいる。人の考えや思ったことを文章で読んでいろいろ考える。そのプロセスが読書体験の醍醐味というかさ。そんなことを思うのさ。

自分が子どもの頃はどうだっただろうかと思い出してみる。

祖父母宅の玄関に繋がる階段の下に謎の鉄の扉があった。小学校高学年だったか、鍵を見つけ出して勝手に開けてみた。そうしたら叔父叔母が読んでいた漫画、遊んでいた人形などが出てきた。漫画は『エリート狂走曲』『伊賀野カバ丸』『のらくろ』、あと他にも色々。フィギュアはマジンガーZの超合金とか出てきた気がする。なつかしい。『キャンディ・キャンディ』もあった。そう思えば全部取っておけばよかった。でも人生って大切なものを手放して続いていくよね。(急に)

四半世紀前のことだともうハッキリしない。

母の持っていた横溝正史の金田一シリーズは中学上がってすぐくらいでそこそこ読んだ気がする。あとは中学時代、祖父が入院していた。1ヶ月という短い入院期間にも関わらず、鬼平犯科帳50冊を買わせていたらしく、本の入った袋ごといただいた。全部読めたのか、というと祖父は本を読むのが死ぬほど(もう死んでるけど)早かった。瞬間記憶じゃないけど、パラパラめくるスピードで読めたとか。そういう話をじっくりする前に亡くなってしまって、残念でならない。

鬼平犯科帳は多分まだ家にある。時代小説はあまりこれまで読んだことがないけど、藤沢周平は授業でやった覚えがある。『蝉しぐれ』。

祖父の本を読むか読まないか。どっちでもいいんだけど、手元にある本のうち、読む対象を選んでいくのも読書の楽しみよね。取捨選択。

More posts