社会人になると会社と自宅の行ったり来たりになり、そうそう出かけることもなくなったという人が割と多い。そうしていると、ほぼ引になる。(昨日の日記参照)ほぼ引になると自分に見えている社会が非常に限定的であるにも関わらず、その社会が全てのように思えてくる。会社という社会、家庭あるいは自宅という社会。その2つしか持たない人は非常に多い。
僕の場合、こだま並みにぷらっと出かけるようにしている。(ほんとに蛇足な表現だ)出かける先はバーであったり、居酒屋であったり。街には小さな社会が確かに点在している。そういう小さな社会では様々な話が展開されて、その中で考えたことや発言したことは自分の中に蓄積されていく。
以前「自分で考えようと思って考えていることなのか、考えさせられているのかわからなくなる」という話になった。選んでいるようでも選ばされているのではないか、ということと近い。誘導されているんじゃないかという疑念がどうしても生まれてくるという話。とてもよくわかる。
この話をしていた人は普段何やっているかよくわからないけど、とにかく様々なことに精通していて「博覧強記」という言葉はこの人のために用意されていた、と思わされるような圧倒的な人だった。そういう人でもこの手のことで悩むことがあるらしい。本当に自由意志で考えているかどうか。
その時代の社会によって、問題や課題は異なる。まさしく社会の授業でいうと、自分が小学生の頃には「フロンガスによるオゾン層の破壊」を教わった。今は小学校では教わらないらしい(情報提供元:家族)。調べたところオゾン層は回復傾向にあり、今後数十年で1980年頃の水準に戻るという。優先して習うべき知識は、四半世紀前と変わってきているということ。問題や課題が異なってくるのは状況が変わったから。
それだけでなく、人の行動ももちろん変わる。自宅と会社以外の社会「第三の場所(サードプレイス)」に出ない(=ほぼ引)はスマホ普及以降進んでいるんじゃないかと思っているんだけど、こういうのデータで示すの難しそうなんだよね。「社会生活基本調査」というのもあって、見てみたけどあまり参考にならなそうだ。
この調査の中に「交際・付き合い」に使う一日平均時間というデータがあるんだが、男性の場合2001年25分→2021年:8分、女性では2001年:27分→2021年:12分と20年間でかなり減って見える。コロナもあったからというのもあるけど、この20年でいうと右肩下がりの傾向で今年の調査結果が非常に気になる。
ほぼ引という状況についてはなるべく陥らないようにしたい。出歩いて人と話すことを怠らないように。
