数千枚の波の果て

Since 2026.7.14

2026年9月

  • 最後の有給休暇

    最後の有給休暇。家でひたすらのんびりすることに決めた。

    音楽をたくさん聞いて、近所のラーメン屋に行ったり。平日昼に自宅近辺で食事をするのはもうあまり機会がなくなっていく。名残惜しさを麺とともに啜り込んだ。

    あとは部屋の片付けを少し。明日の持ち物を確認。そのくらいにして、ひたすらのんびり、ぼんやりすることを楽しんだ。ぜいたくな時間。

    平日だけど夜ご飯を作った。味噌汁の出汁をわざわざ昆布で取って、その昆布と人参を細切りにしてごま油で炒めてから、醤油、みりん、料理酒を絡めて白ごまをちらした。それと焼き魚。こういう食事で大満足なのよね。

    前職のTeamsにログインできなくなったことを確認した。確認してからアプリの削除などを行ってスッキリ。

    明日の今頃は、とか思いつつ床につく。僕は汽車の中~。

  • 暇すぎんだろ

    体調が戻り、何をしようか考えあぐねていた。朝九時から歯医者の予約があることを思い出し、雨の中歩いて向かった。取れていた詰め物を入れた際に打たれた部分麻酔が思ったより効いて、頭がぼんやりしていた。こういう効果もあるのね。

    その後、先週金曜日に訪ねたうどん屋へ再度行ってみたところ、「当面の間、お休みします」の紙が貼られていてショック。別のところで何かを。十年くらい前によく行っていたラーメン屋がある。当時は創業者の人が厨房に立っていたんだけど、今は弟子の一人が継いでいるらしい。ということで行ってみようとしたら臨時休業中らしかったので、別の系列店へ。自宅の最寄り駅からだと一時間以上かかる場所で、縁もゆかりも無く、昼間しかやっていない店。こういうときじゃないと絶対に行かないので、思い切って足を伸ばしてみることにした。

    行ってみると雨だったし、昼時を過ぎていたこともあり、お客さんが全然入っておらず。ささっと入って注文していただいた。十年前によく食べていた味に非常に近く、ものすごーく美味しかった。大満足っていうレベルじゃない。思い出補正もあるけど、とても独特な味のラーメンだったことに気付いた。また行きたい。

    それからしばらくその近辺にバスで回ったり、歩いたり。そうしているうちに夜になって、一人カラオケに飛び込んで四時間歌ってから帰路につく。近所の居酒屋に寄り、遠くまでラーメン食べに行った話をしたら「暇すぎんだろ」ってツッコまれた。確かに。こういう時間も残り少ない。何事も終わってしまうと名残惜しい。

  • 酒を飲まずに寝る

    それからどうしてどうなったのか、気づけば布団で天井を見つめていて、それ以上でもそれ以下でもない一日だった。

    一日身体が怠く、身体が何も受け付けず。夕方にお茶漬け、夜に漬物と味噌汁、ご飯だけを食した。

    酒を飲まずに寝る。これはずいぶん久しぶりだった。

  • やはり拘禁刑であった

    日曜日だろうがなんだろうが、別に何もないくらいにこれまで休みだったのでその延長線上にあるような日。休みならではの華やかさを心に抱くこともない。やはり拘禁刑であった。

    どんよりしていた曇り空の下、自転車を走らせてカーテンを買いに行った。オシャレなものもあるのだが、丈が200cmまでが既製品のサイズで、それ以上はオーダメイドになるためことごとく欲しいものとは異なり、であるがゆえに諦め続ける午前中。

    気を晴らすように回転寿司チェーンへ行き、好き放題食べる。それでも気が晴れないのは決して天気のせいじゃないことも銘々がわかっている。

    夜にビールを飲んだが、一緒に買った日本酒を飲めず、そのまま一旦は床についた。床についたとて、熟睡できるわけもなく。ただただつらいような時間が幕開ける予感が湧いてくる。

  • ばいちゃ後

    昨日はばいちゃ後に平日昼にしかやっていない大好きなうどん屋へ行ってみたが残念ながらお休みだった。出直すことにして別の蕎麦屋に入った。非常に美味しかった。しあわせ。

    そこから下町方面へレンタサイクルで、目的地も定めずに走っていった。雨は降っていないけど、どんよりした天気。結局南千住で降りてみた。初南千住。全体的に建物が煤けていて、荒川区の財政難が表出されていた。

    そこから三ノ輪経由で浅草方面へ行き、銭湯に入ってから友人のバーへ向かった。19時~23時頃までいろいろと話した。何だったかは覚えていない。

    店を出てすぐに身体に限界が来たのか、妙に胃がキリキリしたからどこにも寄らずに帰宅して寝入って、なんとか回復して今に至るというわけです。ばいちゃ後。なんだかいろいろとスッキリした。

  • 最終勤務にばいちゃ

    夜中からどうも寝付けず、家にあるアルコールを片っ端から飲んでいたのだけれども全く眠たくならなかったので、そのまま起きて現在にいたる。今日は午後休を取っていて、今月は全て有給消化になる。つまりもう最終勤務が終わるってこと。

    今になって眠たくてフラフラ、身体はガタガタ。いやーよくやったよ、本当に。睡眠時間は三時間くらいか。三時間でもこれなのに三十分だとどうなるんだ。

    今日の午後はどのように過ごそうか。ずっと考えているけど、ちょっと街をウロウロしてから友人の店に立ち寄って話したりしようかなと思っている。これを書いているPCも返却せねば。

    いつもよりだいぶお早い時間ですが。

    とりあえず最終勤務にばいちゃ。

  • 一応キレイに

    部屋の掃除を少しずつ進めていたのだけれども、今日こそ終わらせようと思って丸一日ずっと掃除をしていた。本来的には在宅勤務なのだけれども、もうそんなのは気にせずにせっせと進めて一応キレイにした。

    そもそも部屋の収納が少なく、雑多なものたちを三段のスチールラックに詰め込んでいるから本当の意味で掃除が終わったのかわからない。と言いつつ気付いたけど「本当の意味で」と考え出すからそもそも掃除に取り掛かるのが遅くなる。本当の掃除ってなんだ。物を片付ける=適切な場所に配置することである。移動させているだけ、などと虚無的な視座で見つめてみると本当に嫌気がさしてくる。だったら捨てた方がよい、という考えのもと、二度と行かないであろう店のポイントカード、名刺も大量に処分した。その結果として一応キレイになった。

    隣の部屋に積み上がっている本、レコードの数々。アレをどのように収納していくか。僕たちの戦いはこれからだ!(未完)

  • 映画は映画館に限る

    ちいかわの映画を観に行った。最後のオチ(っていうのか)にも非常に納得のいくものだった。永遠の命を手に入れる代償は、古今東西さまざまな物語に点在している。

    立派な大人の中にも確かに存在する「言語化したくない幼児性」を体現している、ちいかわというキャラクター。そのときどきの感情や状況、現在を表現するハチワレ。何も語らないが見通しているようなウサギ。

    ちいかわ自身は幼児性を体現しているキャラなのだけれども、今回の映画の中では少し大人っぽい行動を担っていた。ああいった生き物が何も言わずに去っていくのは、昨今の説明過多な物語が多い中で特筆すべきことだったんじゃないか。

    また、島の住民たちというキャラクターもとてもよかった。影のように描かれている姿からして、彼らは仲間ではないことが暗に示されていると思う。展開が早いのもとてもよかった。

    帰りは全身ビショビショになってしまった。雨予報の日に自転車で外出するもんじゃない。

    映画は映画館に限る。

  • 身体全体で歳月を感じて

    子どもの頃、親戚で集まるとよく行っていた洋風レストランに行き、ランチをいただいた。なかなか重たいボリュームで、食後は胃もたれして大変だった。子どもの頃は全然平気だったのに、身体全体で歳月を感じてしまうお年頃になってしまった。年々弱っていく。

    こういった変化へ逆らうために身体を鍛え始める人は非常に多い。自分もそろそろそういう時期に来ている。同級生は皆ジムに通い出している。そんな中でいまだに筋トレをする気にならないのは、筋トレに面白さを見いだせていないからだったりする。重いものを持ち上げて、何が面白いのだろうか。

    かくいう自分も十年くらい前、『プリズナートレーニング』という本を読んで鍛えたことがある。大体身体つきは半年くらいでハッキリ変わってくる。歩いていても疲れなくなるし、活動量が自然と増える。こういった部分のメリットは感じながらやっぱり面白くはないと思ってやめてしまった。

    ゲーム性があればいいのかなと思い、リングフィットアドベンチャーに手を出したところ、これは三ヶ月続いた。ただ、ワイドスクワットをやるようになってから股関節が硬くなってしまい、ギックリ腰になった。腰を痛めてからはまたやめてしまった。

    今日外を歩いていて、街なかのウィンドウに映る自分の丸くなってきた身体を見ていたらもうちょっと引き締めた方がよいと感じた。またバドミントンやるときにも身軽な方がよいだろう。

  • 枯れたい願望

    男性に多いと思うのだけれど、わりあい「いい感じに歳を取りたい」「仙人のように暮らしたい」という願望を持っている人がいる。気持ちはわかる。そういった枯れたい、仙人になりたい、ご隠居になりたい、という願望には「咲いている」「活躍している」という状況が先立つのではないか。裏を返して「咲きたい」ってことなんじゃないか。

    「もう食べたくない」といえば、通常は先にお腹いっぱい食べているだろうし、「食べたい」といえば、何も食べていない状況がある。

    願望や欲望の背景、その状況についてはよくよく考えておいたほうがよい気がする。果実は枝に実る。単体では存在し得ない。